琵琶湖疏水を歩く
2006.4.17 HRY
・日時:2006.4.14(金) 晴れ
・集合場所:京阪三井寺
・参加:シニア自然大学環境科 31名

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◇コース◇
琵琶湖取水口〜第1トンネル〜三井寺〜小関越え〜藤尾橋〜東山自然緑地(昼食)〜諸羽トンネル〜山科疏水公園
〜第2トンネル〜九条山浄水場〜第3トンネル〜蹴上分水点〜インクライン〜発電所〜疏水記念館
琵琶湖畔の三井寺から京都鴨川まで約11km、琵琶湖疏水が続く。1890年(明治23年)に完成、京都に命の水を与えてくれた琵琶湖疏水は、日本人のみによって行われた最初の近代的な大土木事業であり、明治期における日本の土木技術水準の到達点を示す近代遺産です。先人の偉業をしのびつつ、満開の桜が続く疏水べりを歩きました。

三井寺疏水第1トンネル
京都にとって琵琶湖の水を引くことは昔からの夢でした。第3代京都府知事となった北垣国道は,明治維新による東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため,琵琶湖疏水の建設を取り上げました。疏水の水力で新しい工場を興し,舟で物資の行き来を盛んにしようという計画です。福島県の安積疏水の主任技師南一郎平に琵琶湖疏水計画の調査を依頼し,大津京都間の測量を島田道生に命じ,東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を土木技師に採用するなどの準備を進めました。

疏水は着工から5年後の明治23(1890)年に完成しましたが,水力発電を採用したおかげで,新しい工場が生まれ,路面電車も走り出し,京都は活力を取り戻しました。それから20年後,更に豊かな水を求めて第2疏水を建設し,同時に水道と市営電車を開業したことで,今日の京都のまちづくりの基礎ができあがったのです。(京都市水道局資料から)


琵琶湖取水口〜小関(こぜき)越え


琵琶湖疎水の建設工事は最も難関が予想された小関越えの第1トンネル2,436mから取りかかることになり、施工方法についてもトンネルの両側からの掘削の他、日本で最初の試みとしてトンネルの途中に竪坑(深さ47m)を掘削する方式も採用しています。れんが、材木も直営で生産し、ほとんど人力だけで工事をしました。

本日の企画、ガイドは荘司さん、河口の碑文前で

琵琶湖からの取水口

第1疏水の閘門

第1トンネル東口洞門に伊藤博文「気象万千」の書

三井寺山門

本日の難関小関越え、標高200m


小関越え〜諸羽トンネル

疏水のトンネルは、歴史的環境に配慮した煉瓦造りで、そのトンネルの洞門には、工事が国家レベルの大事業であったことを示すように、著名人が筆をふるった書が彫刻されています。以下白石さんの解説です。
第1トンネル東口 伊藤博文「気象万千」、西口 山県有朋「廓其有容」、第2トンネル西口 西郷従道「随山到水源」、東口 井上 馨「仁以山悦智為水歓」、第3トンネル入口 松方正義「過雨看松色」、西口 三条実美「美哉山河」等。

小関越え途中の竪坑(深さ47m)

第1トンネル西口洞門に山県有朋「廓其有容」の書

疏水べりに満開の桜が続く

花吹雪の中で昼食、至福のひと時

東山自然公園付近

諸羽トンネルの四ノ宮船だまり


山科疏水公園〜蹴上

インクライン(傾斜鉄道)は日本で初めての試みで、これによって船を標高差36mの南禅寺の平地へ下ろすことが可能となり、舟溜から鴨川までは鴨東運河で結んでいます。1891(明治24)年には米国コロラド州アスペンの水力発電所を参考にした日本最初の水力発電所が蹴上に完成し、同年11月に送電を開始しています。インクラインの運転動力もこの電力を利用しています。水力発電は新しい産業の振興に絶大な能力を発揮し、京都市発展の一大原動力となりました。

毘沙門堂参道の安朱橋から

「花いかだ流れのままの旅路かな」 川井さん

第3トンネル東口

第1疏水と第2疏水の合流点(蹴上)

インクライン、標高差36m、傾斜1/15

土木技師 田邊朔郎像、20代での偉業です



四ノ宮船だまり付近で記念撮影
この疏水の水は、現在においても水道用水の他、発電、防火、工業など多目的に利用されており、京都市民の生活を支える重要な役割を担っています。
企画:荘司弘之
白石 章


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